エッセイアーカイブ
にわかサッカーファン(2010年5月掲載)
ワールドカップの日本チームの予想を超えた活躍は多くの日本人の感動を誘った。にわかファンとして感じたこと。
日本選手のプレーで感心したのは、ボールを取りに行くことに全身全霊を傾けているということ。ボールに相手選手より一センチでも近づこうとつま先までピンと伸びた足。体操選手のように柔軟に身体を動かして相手選手をくぐり抜けボールを追い求める。相手からボールを守るための機敏な決断と敏捷な動き。
「ボール際に弱い、個人技に劣る」と事前に評価されたことが嘘のようなダイナミックで積極的なプレーが目立った。これが可能になるために、どれだけ体力をつけ、技術を磨き、精神力を高める努力を続けてきたのか。その苦労の集大成にわれわれは感動したのだろう。
一番目についたのはやはり本田圭佑選手。茶髪の細身の身体にこれだけのエネルギーと精神力があるとは。一番驚いたのは、最後の試合でのPKで彼が蹴ったとき。緊張が高まり、足が震えるような場面のはずだが、かれはゆっくりしたゴロでゴールキーパーの逆サイドにボールを蹴り込んだ。この落ち着きと自信・・・・いくつもの修羅場を潜り抜けた老将のような肝のすわり方。この選手のタフさは並大抵ではないと感じた。
岡田監督が帰国後の会見で「脈々と受け継がれている日本人の魂を持って戦ってくれたことを誇りに思う」と述べた。日本人の魂とは何か?全身全霊で打ち込む姿勢、たゆまぬ努力、無骨さ、チームワークなどを彼は言いたかったのだろう。
しかし、彼も言っているようにそれは対外試合の経験をしてはじめて磨かれたものになる。素晴らしい原石があったとしても、アウェイでの試合を含む外国の強豪チームと対戦することで、「日本人の魂」ははじめて輝き出す。本多選手が試合中に相手からの「殺気」を感じたと述べたが、相手チームの本気度、ハングリーさが日本人の同じ意識にも火をつける。対外試合の経験のない北朝鮮はみじめな大敗を喫したが、外に開いていくことがいかに日本の強さを引き出すのかを日本チームの活躍から改めて感じた。
捕鯨問題とパブリックディプロマシー(2010年4月掲載)
日本とオーストラリアとの間で捕鯨問題が大きな課題となっている。オーストラリアと日本は時差がほとんどなく、季節が逆。広大な国土に多くの鉱物資源を持つオーストラリアは日本にとって最も重要な経済、産業面でのパートナーでもある。広大な大地と大らかなオーストラリア人の国民性に魅せられ、多くの日本人が観光やワーキングホリデーでオーストラリアを訪れ、またオーストラリア人の訪日も増えている。両国関係はこれまで良好で、最近では安全保障の面でも協力関係が進んでいる。
こうした両国関係にとって現在の最大の懸念は捕鯨問題である。この問題が片付かないならラッド首相は日本を国際法廷に提訴すると言明した。捕鯨は両国関係に刺さった大きなトゲになっている。
ある意味、この両国の対立は興味深い。通常、二国間関係が悪化するのは、政府間で安全保障や貿易など国益が直接ぶつかりこじれるケースが多い。現在の北朝鮮と日本の関係はその例だろう。しかし、日本とオーストラリアの場合は外交や貿易面では非常にうまくいきながら、両国の国内世論が二国間関係を損ないつつある。
オーストラリアでの反捕鯨感情は非常に強いものがあるようだが、日本ではどうだろうか。鯨肉を食べる人口は極めて少なく、逆にホエールウォッチングも各地で広がりつつあり、鯨を殺したくないと考える日本人も多いだろう。日本の世論は捕鯨推進で固まっているとは言えない状況だろうが、政府では捕鯨は日本の文化であると捕鯨を推進する立場をとっており、オーストラリアとの対立が続いている。
この問題を解く鍵になるのがパブリックディプロマシーだ。パブリックディプロマシーは「政治家や職業外交官によるオフィシャルな外交ではなく、広報や文化交流を通じて、民間とも連携しながら、外国の国民や世論に直接働きかける外交活動」といわれている。
捕鯨問題のように国内世論が外交を動かす時代になったこと、従来の外交では解決できない課題が増えていることからパブリックディプロマシーの考えが出てきた。捕鯨問題はその点ではまさにその象徴的な事例といえる。
しかしながら、両国政府はパブリックディプロマシーをうまく使えていない。また単に政府が自国の考えを相手国民にPRするだけでは効果は生まれないだろう。そこで必要なのは捕鯨問題についての市民間の対話である。オーストラリア人はなぜ捕鯨に反対するのか、また日本人のいう捕鯨文化とは何をさすのか、こうしたことをお互いの市民が意見交換すする場を増やしていくこと、そこには捕鯨論者やホエールウォッチング業をしている人など、さまざまな立場の人達が入って、お互いの立場を尊重しながら議論をする場を多く持つ。これがいま捕鯨問題には欠けていることだ。成熟したパブリックディプロマシーには市民間の対話と相互理解の場が不可欠だ。
一方、日本の国内では、本当に捕鯨を推進することが国益なのかについての議論も必要になる。殆どの人が関心を持たないままに、一部の捕鯨関連業界の意見で国の政策が捕鯨推進で固められてしまうのにも問題があるのではないだろうか。
必要なのは日本国内での捕鯨をめぐる市民の間での議論を広げていくことであり、両国間では、成熟したパブリックディプロマシーを実施することだ。臭い物にはフタという姿勢を変え、成熟した議論を行うことが求められる。
日本を開く!(2010年3月掲載)
少子高齢化と人口減少、貧富の拡大、政府財政の巨大赤字など、問題が山積する日本。しかし、今こそ日本の真の力を発揮するときとも言える。解決のカギは「日本を開く!」ことにある。
日本は古代には遣唐使や大陸から帰化人などを通じて、仏教をはじめとする異質な文化、文明を取り入れ、それを日本の血肉に変えて日本の独自の文化を発展させてきた。また近代では明治政府は厳しい財政の中で西欧の優れた科学技術を取り入れるためにお雇い外国人を自前で雇い、日本の発展の力へと変えてきた。
日本の発展の基礎には海外の文化や人々を受け入れてきた深い智恵と経験がある。日本は異文化との接触によるさまざまな摩擦を乗り越えることで、それを糧と変える懐の深さを身につけ、世界でも高度な文明を持つ今日の社会を築いてきた。
現在、少子高齢化、人口減少とともに経済成長の鈍化が続き、若者は未来に明るさを失い、内向き志向が強まっている。もう一度、外に目を向け、積極的に海外と交流を行い、世界に対して日本を開いていく。そのことこそが日本を覆う閉塞感を打開する最大のカギとなる。異文化を積極的に受入れる、そしてそれに伴う葛藤の中から日本の未来を切り開くエネルギーや飛躍が生まれてくる。グローバル化の時代は本来、日本にとって飛躍のチャンスといえる。
包容力と咀嚼力を身につけ異文化を受入れてきた過去の日本人の智恵と勇気を思い起こそう。内向き志向には未来はない。日本をさらに世界に開かれた国にし、活力を呼び込むことが、日本の子どもたちの明るい未来に必要不可欠だ。そして、そのためには国際交流、国際協力、外国人との共生を発展させるための国民的な議論を広げる、市民がその活動に積極的に参加する必要がある。
「日本を開く!」ことを合言葉として、国際関係の団体が結集してメディア、市民に働きかけ、多くの地域で「日本を開く!」輪を広げていく。そうしたことが必要だろう。
「日本を開く!」で行いたいこと
- 青少年に限らず幅広い年代で異文化交流の機会を日本各地で増大させ、交流の中から新しい地域を作るエネルギーを生み出すこと。
- 途上国に対する国際協力に対する市民参画の機会を増やし、日本と途上国の相互に役立つ市民レベルの交流・協力を深めていくこと。
- 人口減少時代の日本に外国人を受入れることの意味について、地域で話し合いの輪を広げ、彼らとともに日本の地域社会を豊かにする方法を考え実践していくこと。
2010年代に向かって(2010年1月掲載)
今年の元旦はサプライズから始まった。1月1日の朝日新聞朝刊の一面に、リンキングでも登場していただいたアフガニスタンで活躍する長谷部貴俊さんのカラー写真が載っていた。混迷が深まるアフガニスタンで、命の危険を冒しながら活動するNGOやJICAのスタッフには頭の下がる思いだが、目に見えないところで日本人が頑張っていることの一例だろう。
21世紀になってこれまでの10年を称して英語でダブルオーという呼び方があるそうだが、日本にとってタブルオーは陰りの濃くなる10年だったといってよいだろう。バブル崩壊後、ようやく景気が持ち直しかけたように見えたがリーマンショックで吹っ飛んでしまった。国内の閉塞状況を受けて、2009年に民主党政権が誕生し変化の年となったが、本格的な変化は今年から始まる。
しかし、巨額の財政赤字の中で政府の持つオプションはそれほど多くない。民主党はマニフェスト原理主義ともいうべき自分の出したマニフェストに縛られ、合理的な議論のないままに巨額の予算配分を進めている。国民の期待は大きかったが、変革の方向性は必ずしも正しいものとはいえないようだ。鳩山政権が言う「新しい公共」も実態の伴うものになっていない。それは単にNPO、NGOに政府の資金を多く回せばよいという話ではない。日本に市民力をつけるにはどうすればよいのか、寄付文化をどう根付かせるのか、NPO、NGOが社会の三本柱の一つとして成長するためのシステムの構築というビジョンが必要になる。NPO、NGOについての資金、人材、社会認識の改変を行うことは、日本人の価値観を変えていく作業でもある。
今年、政府がどのような政策をとるかによって2010年代の日本の行方は変わってくるが、今の時点ではそれほど大きな期待はかけられない。経済大国を誇る日本だが、今年、中国が世界第二の経済大国になることが予想され、その一方で日本の少子高齢化は年を経るごとに厳しさを増していく。
これから10年の間、いや数年間のうちに、移民の受け入れの議論の本格化、アジアの活力をテコとする日本社会の活性化がテーマとなり大きな社会変換がおこなわれるだろう。そのとき、国際協力は単なる援助ではなくなる。日本の社会を活性化するための国を越えた人々の結び付きとして認識され、双方向のエンパワーメントになっていく。
国際協力、国際交流、多文化共生という既存の枠は取り払われ、人の大きな流れ、つながりとなって日本の土壌を豊かにしていくだろう。今、長谷部さんをはじめ目に見えないところで世界の人々とつながり活動している人たちの努力が日本を再活性化する力となってはね返ってくる。リンキングはそうした時代を先取りした活動であり、日本人を元気にするための土壌改良でもある。
移民受入れ自治体宣言(2009年11月掲載)
少子高齢化が日本の将来に暗雲をもたらしている。政権をとった民主党は子ども手当ての支給で5兆円の上る予算を計上する予定だ。その予算を捻出するために、思い切った事業仕分けを行いさまざまな事業の予算削減に取り組んでいる。しかし、日本の将来にとって必要な予算まで切られてしまう懸念も出てきている。
ところで、今回の子ども手当てによって、政府は出生率はどの程度、上昇すると想定しているのだろうか?あるいはそうした予測を立てた上で合理的な計算によって積み上げられた金額が5兆円という予算案なのだろうか?
仮に子ども手当てによって出生率が大幅に改善されたとしても、高齢化のスピードが落ちることはない。また人口減少も今後、急速に進んでいくと予想されている。また子どもが増えても彼らが実際に労働力として社会に役立つのは20年先になる。
2008年末に出された「日本の市町村別将来推計人口」(国立社会保障・人口問題研究所)によると以下のようなデータが並んでいる。
- 2035年には全国の自治体の5分の1以上が人口5千人未満になる。
- 2035年には75歳以上人口(後期高齢者)が25%以上を占める自治体が5割を超える。
- 2035年には年少人口(ゼロ歳〜14歳)が10%未満の自治体が三分の二を超える。
- 生産年齢人口(15歳〜65歳)の人口は2009年には8200万人程度だが、2025年にはほぼ1000万人減り、2035年には1600万人減る。
全国的に見れば以上のような状態だが、一部の自治体では50年も前から人口は減り続けている。今までの数々の努力にもかかわらず人口減少の食い止めに成功していない。ジェットコースターで言えば、今の日本は人口減少の山のピークを過ぎて下り坂に差し掛かったあたりで、後10数年すれば悲鳴を上げるスピードになっていく。
地域社会の人口減少を食い止めることを真剣に考えるならば、自治体は多文化共生を一歩、押し進めて「移民受入れ宣言」を考えざる得ない時代になりつつあるのではないだろうか。移民の受入れはもちろん国の政策だが、自治体として外国人を積極的に受入れる宣言し、そして受け入れた以上は、外国人の子どもたちにも日本人と同等の高校、大学進学率になるような積極的な対策をとる。そして、外国人の人たちと日本人とが協力し合って、過疎地域では農業などの一次産業を活性化し、さらに新たな産業を興していく。
またアジア等との姉妹都市交流も海外から人を受け入れるためのツールとして活用することも考えられる。現在までの研修生・技能実習生制度が生んださまざまな問題を反省した上で、透明性のあるシステムにのっとって、対等な立場である姉妹都市からの友人として海外から人を受け入れることも必要だろう。
多文化共生は外国人が増加する場合の対応策として意味があった。しかし、外国人が増加することを歓迎するという価値判断はしていない。今の日本の過疎化の現実を考えれば、多文化共生を超えて外国人を地域で積極的に受入れを標榜する自治体が現れてもおかしくない。日本の近未来を考えると、多文化共生の一歩先を行く必要が来ているように思うがどうだろうか。
シティネット横浜大会と人材不足(2009年9月掲載)
あまり知られていないが横浜市が事務局を務める国際機関がある。シティネットといい、アジア太平洋の都市がメンバーで都市間の協力を話し合い、実施を行う機関だ。国を超えて自治体の関係者が集まり、環境問題やインフラ整備のノウハウなどの情報交換を行い、世界銀行などの支援を受けて実施に結び付けている。横浜はそのホストを長年行っている。
横浜市がシティネット事務局をホストしているものの、その職員はアジア太平洋の各都市から派遣された人たちで中での公用語は英語。若いスタッフが多いが優秀な人たちが揃っている。

シティネットで挨拶をする横浜の林文子新市長
9月7日から5日間、シティネット横浜大会があった。事務局のベルナディアさんから依頼をされて、Enhancing Cooperation between Asian and European Citiesというテーマのラウンドテーブルの司会を引き受けた。ベルナディアさんはインドネシア人の女性スタッフで東大で博士号を取った才媛だ。依頼をされたラウンドテーブルではリヨン市の前副市長、コロンボ市の部長、アジア開発銀行の専門スタッフがパネリストで、是非日本の自治体からの参加者を入れてほしいという。自治体の長はダメでもそれなりの立場の人を探してほしいと頼まれた。
なんとかなるだろうと思っていろいろなツテ頼って探してみたがたいへん厳しい。政令指定都市クラスの自治体でも「英語だけでのディスカッションとなると・・」としり込みされた。ようやくつくば市議で博士号を持つという人を見つけ出しお願いをして何とか急場をしのいだ。
それにしても自治体の職員が英語ができないという状況は20数年前と全く変わっていない。アジアの都市では分権化の進行とともに、都市のリーダーや幹部がシティネット以外にも増えているさまざまな都市間連携の国際会議に参加し、活発な議論を戦わせている。
実はアジアの自治体の長を招いて国際会議を最初に仕掛けたのは日本の自治体だった。1980年代、90年代には日本の自治体がホスト役になり、姉妹都市交流などを通じてアジアの都市に国際的な会合の場に招待した。そして、今ようやくアジアの都市がそうした国際交流に積極的になり始めたところ、日本の自治体は財政難でそうした場から姿を消してしまった。そして自治体の人材も英語で議論できる人はほんのわずかなままだ。
中国や韓国の自治体は専門家をそろえて国際会議に出てくる。中国の地方政府はアフリカまで交流を広げている。彼らはグローバル化の時代に国際的な情報収集は不可欠ときわめて前向きだ。内向き志向の強い日本の自治体も外に目を転じないとますます世界の動きから取り残される。これまでせっかく築いてきた国際交流のネットワークもさびつき、存在を忘れられてしまいかねない。日本に英語のできる人材がいないわけではない。海外の大学院を出て働く場がなくて困っている優秀な人材(特に女性)が日本にはたくさんいる。そうした人材を自治体は積極的に活用することも検討に値する。
「見える化」で見えるもの(2009年5月掲載)
予想もできないさまざまな出来事が日々、各地で起こり人々を驚かせる。しかし、一部の専門家からすれば以前から予想できたこと、危惧していたことであったということも多い。新型インフルエンザの発生もその例といえるのかもしれない。専門家の間では比較的前から準備が進んでいたようで、一部のメディアでは以前から情報を積極的に流していた。一般市民への影響が大きいので日本政府も迅速に、また総力を挙げて対応しているように見える。
一方、問題が起こることが専門家の間では予想され、警告が出されていながら、世の中の対処の動きが緩慢に見えることがある。むしろ、こちらのほうが大半を占めているといってよい。特に中長期的な問題については日本では以前より関心が少なくなり、新型インフルエンザのような短期的な危機のみに注意が集まる傾向があるようだ。
「見える化」ということばがあるが、これは企業の経営戦略でもともと使われだした言葉らしい。経営者として問題が発生する前に、今、現場で起こっていることや先に起こりそうなことをつねづね「見える化」する努力が必要ということのようだ。
しかし、今の社会では残念ながら進んで「見える化」を考えている人は少なくなりつつあるようだ。「見える化」思考の欠如が個人や社会の閉塞感を高めているようにも思える。本来、政治家や官僚は中長期の視点で国や世界の将来を考えてほしいものだが、短期的な視点で成果をあげることに汲々としているのではないか?海外ではシンクタンクが中長期の国のあり方や政策論を戦わせてその役割を果たしているが、日本でのシンクタンクへのニーズは経済予想などに限られ本格的な政策や長期の中戦略についての議論が欠けている。またシンクタンクにせよNGOからにせよ、そうした提言がなされたとしてもそもそも関心を示す官僚や政治家が少ない。
個人のレベルでも同様で、経済危機が深刻化するにつれて、目先のことをなんとかこなすので精一杯という人たちが増えている。確かに将来のことを考えてもそのとき世の中がどうなっているかわからない。あまり先のことを考えて頭を悩ますより、今を生きるだけで精一杯だというところだろう。
一方、「リンキングジャパン」で紹介している各地で国際交流や国際協力の場で活躍している人たちは、日常生活を超えた一歩先の世界が見えている人たちだ。先のことについて「見える化」が身についているようにも思える。それは海外を含む多様な経験と人とのつながりを持ち、今の日本の暮らしを客観的に見ることができているせいだろう。視野を広くして世の中を見ていると人とは違う景色が見えているはずだ。彼らからすれば今の日本の現状は将来についての視野が欠けており、なんとかならないかと歯がゆくて仕方がないという感じだろう。
気持ちの上でも違いがある。世の中に振り回され、いつのまにか自分らしさを考える余裕をなくしている多くの人々に比べて、一歩先の世界を見つめることで、自分の素直で純粋な思いを大切に持ち続けられるようだ。人々がメディアの情報に繰られて右往左往しているときに、自分らしさを大切にして行動している人が多いようにも思える。
また、いわゆる「セレブ」と呼ばれる人たちの中で寄付や社会貢献に熱心な人が多いのは、単に裕福や流行というだけではないのだろう。かれらの広い視野や経験、自分自身の感性を大切にする気持ちが、自然と人間的なつながりを大切にする行動に結びついているのかもしれない。小さな子どものころ、人とのつながりの大切さを身にしみて感じたはずだが、そうした純粋さを持ち合わせているといっては言いすぎだろうか?
不況の真っ只中だからこそ、自分の視座をしっかり持ち先を見据えること、そしてそうした視野を持って行動することの大切さを多くの人に理解してもらうことが、日本人が自分自身を取り戻し、閉塞感から抜け出す近道だといえるだろう。
ギビングからシェアリングへ(2009年3月掲載)
アメリカでは寄付が盛んだ。一説にはアメリカ人は一人当たり日本人の40倍もの金額を寄付しているという。寄付を英語ではドネーションというが、ギビングという言い方もある。クリントン前大統領が書いた本のタイトルはまさに「GIVING-How Each of Us Can Change the World」。奉仕精神と寄付の大切さを謳っている。時間をギブすればボランティア活動、お金をギブすれば寄付というわけだ。
日本でもギビングの精神を広めることは重要だが、それだけではなくシェアリングも考える必要があるだろう。ギビングは自分のモノを相手に渡して相手に任せるというニュアンスがあるが、シェアリングは自分のものを相手にも使ってもらう、お互いが使いあうという関係だ。
ギビングが下手をすると「施し」に近くなってしまうのに比べて、シェアリングはお互いが対等だ。またシェアするほうも自分もそれが使えるのであるから、自分のモノを失うギビングよりもより行動が起こしやすい。身も回りを見渡せば普段使っていないものはたくさんあるはずだ。また自分の能力や技術をお互いが協力して使うのもシェアリングといえるかもしれない。
ギビングは与えてしまえばそれっきりになりがちだ。あとくされがないともいえる。しかし、シェアリングするには共有する相手とのコミュニケーションが大切になる。シェアをする中で必然的に相手のことがよくわかり、お互いの関係が深まってくる。シェアリングこそリンキングが目指す関係ともいえる。
スマートパワーと一致団結(2009年1月27日掲載)
アメリカはオバマ政権になって外交方針が大きく変わるといわれる。スマートパワーを駆使して、ブッシュ政権時代にギクシャクした同盟国との関係を改善し、また敵対国とも関係修復を図るという。たとえば、敵対関係にあるキューバに対しては、キューバに家族を残すキューバ出身アメリカ人のキューバ訪問の規制を撤廃したり、送金を自由化することを考えているようだ。キューバ出身のアメリカ人はキューバに対して自由主義、市場主義経済、民主主義を理解させる最良の大使であるからという。
スマートパワーあるいはスマート外交とは、従来のアメリカのとってきた一方的な軍事力に基づく外交ではなく、軍事力、経済力、文化など、多様なツールを効果的に使い、対話に基づく外交をさすと思われる。
オバマは選挙戦を通して国民の団結を訴えつづけた。共和党も民主党もない、白人も黒人もラティーノもアジア人もない、あるのはアメリカ合衆国だけだと。文化やイデオロギーの多様性で引き裂かれつつあったアメリカをオバマという統合のシンボルが現れたことで国民の一致団結が促進されつつある。
スマートパワーは単にアメリカ政府の持つ多様なリソースを駆使するだけではなく、アメリカの持つ多様性、たとえば民間団体、企業、地方政府などの持つ対外的なつながりをフルに活用して、単にアメリカのイメージの向上だけではなく、平和を進める上での外交的な成果を目指そうとしているといえるだろう。
オバマがこれからどんな困難に遭遇するかは誰にもわからないが、世界中が今の状況に嫌気がさしている時代であり、敵対国の国民もオバマに一定の期待しているだろう。その意味では予想以上に平和に向けて大きな進展が見られるのかもしれない。
その一方で、多様性に慣れたアメリカ国民が、日本ではよく使う「官民一体」となることをよしとするのだろうか?という疑問が生まれる。日本の「官民一体」は政府が号令を掛けて民間が右へならえというイメージがあるが、オバマの目指す一体感は、多様性を是としながら(むしろ多様性こそがアメリカの最も重要な価値だと認めながら)、自由やアメリカの建国の精神の理想を元に人々が自律的に結集することをさしているのだろう。つまり、アメリカが一つの生命体のように同じ方向を目指しながらも、それぞれの器官は自分の持ち場、持ち場で自律的にスマート外交の意味を汲み取った創造的な活動が行うというイメージでないだろうか。上からの命令ではなく、理念を共有して自発性、自立性に任せて力を発揮するというのがアメリカの最も力がでるやり方なのだろう。
「悲観的な国民意識を変えるには?」(2008年12月5日掲載)
日本のODAの行く末について、国際開発ジャーナルの荒木光弥氏が今年12月号の同誌のなかで、『「援助疲れ」の国民意識』と題して憂いのことばを述べています。2008年のアンケートの結果によると、「ODAを減らすべきだ」が38.1%、「減らしたくないが仕方がない」が35.9%と合計74%を占めています。その結果を見て彼は「国の老成化を少しでも防ぐためには所得の配分だけに止まった議論だけではなく、日本の生産拡大、日本人の所得の増大に結びつく議論を広く展開すべきではなかろうか」と述べています。つまり、日本自身の老成化が進みパワーが無くなり始めていることが、日本のODAに対する国民の消極的な意識に反映されており、日本自体を元気にしなければODAへの国民の賛同も復活しないのではと見ているようです。
日本が2006年を境にして人口が減り始め、30年先には今より総人口は2000万人減る一方で、高齢者の数は1000万人増えるという国の統計データがあります。そうなると、将来に対して悲観的な見方をする人が多くなってもしょうがないのかもしれません。それに加えて、アメリカ発の金融危機が日本を襲い、欧米よりもマシとはいうものの実体経済に深刻な影響を与え始めています。となると、ODAとして海外の支援のために回す余裕はないという議論が一層強まりそうです。
ヒトの気持ちは景気に大きな影響を与えます。将来に不安を持てばヒトは自分を守ろうとし、防衛体制に入ります。自分や自分の家族のことを考えるだけで精一杯となり、内向き志向が強まります。また心配や不安感が続くとストレス、疲労も溜まります。今の「癒しブーム」はそうした不安を抱えた国民心理の表れかもしれません。
その逆を考えてみるとどうでしょうか?将来に対して希望があれば、自分を守るよりもむしろ自分を活かすことに集中しようとします。若々しい気概があふれていれば、前向きに新しいことにチャレンジするという気持ちも強まります。プラス思考で考えれば、難問も解決する糸口が見つかるかもしれませんし、実際に乗り越えられる可能性も高いでしょう。しかし、今のようなマイナス思考であれば問題を先送りにし、結果として縮小均衡へと向かってしまいます。
悲観論に日本人が陥っているとすればそれを変えるには、客観的に日本をとらえ直すことでしょう。「少子高齢化」以外の面では、日本は環境技術や省エネルギーを含めて世界有数の高い技術を持つ工業国であり、その基盤はそう簡単にはゆるぎそうにはありません。また金融危機までは、製造業よりも金融が付加価値を生むと考えられ、ニューヨークやロンドンの金融センターが持てはやされましたが、サブプライムローンの破綻で、実体を伴わない金融取引の危うさが世界的に浮き彫りになりました。そうなると実質面では日本に有利です。
さらに金融危機で多少目減りしたとはいえ最近まで1500兆円といわれる個人資産を日本人は持っていることを考えれば、国民全体が悲観論に傾く必要はないようにも思います。問題は政治状況の混迷で格差問題などに十分な政策が採られていないことでしょうが、そのうち日本の社会はバランスをとった動きをするようになるでしょう。その智恵は日本人にはあるはずです。また以前より政策議論の透明性も高まり、オープンな討議ができる素地が以前より強まっている感じがあります。
個人のレベルで元気を取り戻す秘訣は、ヒトとヒトとが一層ふれあい、コミュニケーションを密にすることだと思います。市民活動やNPOは単に問題を解決するツールだけではなく、人々の間のコミュニケーションを促進し、社会全体の信頼を強める働きをするものです。リンキングを含め、地域社会で起こっている小さな活動のそれぞれが日本の再生に向けての原動力になることでしょう。プラス思考でいきましょう!
「リンキングについてあなたができること」(2008年10月29日掲載)
もし、あなたがリンキングに関心があり、リンキングについて何かの意味のある行動をしたいとしたらどうすればよいでしょうか?まず最初にリンキングという考えを、あなたにとってどのように活用できるかを考えてください。
すでに仕事で国際協力に関わっている人であれば、リンキングを今行っている国際協力の活動の中にどのようにすれば入れることができるかを考えましょう。でも、形がすでに固まっているので事業事態に入れるのはとてもムリという答えが返ってきそうです。
もし、途上国に行く機会があり、自分に子どもがいれば、その子が考えていることを相手の地域の子どもを見つけて話しかけ伝えようとしてください。それだけでもよいのです。あるいはもっと前向きにやりたければ、子どもの通う学校と途上国の学校の交流の橋渡しができればこれはすばらしいリンキング活動と言えると思います。
では、全く国際協力や外国にも縁がないという人はどうでしょうか?学生であれば学校にいる留学生に自分から積極的に話かけてみるということからスタートできます。そこから始めて、自分だけではなく他の学生を巻き込んで留学生と日本人学生が交流するサークルを作るというのもよいでしょう。人と人とのコミュニケーションの橋渡しをすること、これこそがリンキングを行おうとする人たちが最も目指していることなのです。文化が異なる人と人とが触れ合う「場」を作ること、これがリンキングの最も重要なことです。
なぜそれが重要かといえば、国際協力や国際交流に限らず、「出会う機会のない人と人」とがコミュニケーションを行うことで、人の善意と善意が触発される機会が生まれ、そこから感動が生まれ想像できないような新しいムーヴメントが始まることがあるからです。イギリスでリンキングを推進しているのは、このことに気づいた人たちが国際協力の場面でそれを積極的に行おうとしたからといえます。
リンキングの考えを自分の生活に取り入れること、そしてそれができれば、次はそうした機会を作る場を提供する側に回ることです。国際交流や国際協力の活動は、すべてそうした場を作る活動ともいえます。リンキングが気に入ったなら、このサイトで紹介しているようなNGOに参加してその場作りを手伝ったり、ツールキットを読んでリンキングをさらに深く学び、リンキングの意義を他の人にも伝えていただきたいと思います。
「英国に習い市民が参加する国際協力の芽を育てよう」(2008年9月30日掲載)
今年は横浜でのアフリカ開発会議、洞爺湖でのG8サミット、そして、10月1日には、新JICAの誕生と国際協力関係者にとってはビックイベントの目白押しの年だ。
しかし、その一方で、日本のODAは先進国の中でズルズルと後退している。難問山積みの国内情勢の中で、政治家だけではなく幅広い市民の間に国際協力を推進しようという強い意気込みが不足していることが最大の理由だろう。
市民が国際協力の必要性を痛感するのは、日本の国際的な立場のために国際協力の必要性を訴える国益論でも国連ミレニアム開発目標(MDGs)の議論でもない。自分や家族、身近な友人が途上国の人たちとのふれあい、交流、協力をした経験があるかどうかだ。 2年前、あれだけの盛り上がりを見せた「ホワイトバンド」が数ヶ月で消えてなくなったのは、日本人にそうした経験がほとんどなく一過性のブームに終わったからだろう。
イギリスの国際開発庁(DFID)には、市民の国際協力理解を広げるための資金として「開発認識向上のための基金」(Development Awareness Fund)がある。2004年、イギリスの文科省は、すべての英国の学校が2010年までに海外の学校と姉妹校を締結するように求める大胆な方針を打ち出したが、DFIDも協力し、開発認識向上のための基金の一部は1300校に及ぶ途上国との姉妹校交流に使われている。イギリス国内のリンキングの活動もこの基金の一部が出されている。
日本の一般市民にとって今の国際協力は、市民から遠い政府機関での活動と、一般市民から少し距離のあるNGOだけが関わる特殊な出来事としか見えていないのではないだろうか。市民にとってどれだけ国際協力を身近に感じることができるのか、そのための知恵を絞らなければ、いつまでも日本の国際協力の議論は空回りが続く可能性がある。
最近、DFIDはリンキングを本格的に進めるため、リンキングの評価を行うことと、向こう3年間で500の新たな途上国との地域社会レベルのリンキングの提携を行うことを求める提案をNGO側に出した(DFID Community Linking Programme)。日本も「急がば回れ」で、市民が国際協力に身近に接する場を作る意味でリンキングをとらえるべきだろう。
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